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横浜地方裁判所小田原支部 昭和61年(ワ)303号 判決 1989年9月21日

主文

一  被告森康守は原告に対し金三五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告森欣一郎及び被告東京海上火災保険株式会社に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分しその一を原告のその余を被告森康守の負担とする。

四  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告)

一  被告らは連帯して原告に対し、金三五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年五月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。との判決並びに仮執行宣言。

(被告ら)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

(請求原因)

一  本件交通事故

被告森康守(以下被告康守という、)は昭和六〇年五月二六日午前四時四〇分頃自動車仮運転免許(以下仮免許という)しか受けておらず、仮免許で一般車道を走行するには普通免許取得三年以上の者を同乗させ、その指導を受けながら運転すべき道路交通法上の義務があるのにこれを怠り、藤沢市江ノ島一丁目一二番二号先港湾道路上のロータリー(以下本件ロータリーという、)を普通乗用車(横浜五三て八二五八-以下被告車という、)を運転して江ノ島大橋方向に北進中その出口付近に停車した先行車の軽四輪車を追い越すため、対向車線上の安全を十分に確認せず、時速約三五キロメートルの速度で対向車線に進入した過失により、折から自動二輪車(相模め五四六四-以下原告車という)を運転して江ノ島大橋から神奈川県婦人総合センター方向に向って本件ロータリーを南進中の原告(原告車)に自車を正面衝突させ、よって原告に対し同日から昭和六〇年一一月一三日まで一七二日間の入院同六三年七月三一日の症状固定まで約二年八ケ月の通院加療を要する両頭頂骨骨折、右前頭葉脳内血腫等の重傷を負わせた。

二  被告らの責任

1 被告 康守

民法七〇九条による不法行為責任

2 被告 欣一郎

同法八二〇条の監督責任懈怠による共同不法行為責任即ち被告欣一郎は被告康守(昭和四一年九月二七日生れ、本件事故当時一八才)の実父であり、被告康守が仮免許で自動車を運転することを知っていた。

即ち、被告康守は、高等学校在学中の昭和六〇年二月頃に高等学校の寮があった山梨県北巨摩郡二葉町において仮免許を取得した。その後本免許を取得するため、東京都多摩区の自動車学校に再入学をした。右事実を被告欣一郎は知っており、被告廉守に対して積極的に本免許を取得するよう指導していた。

そして被告欣一郎は被告康守が被告欣一郎所有の自動車を練習のため運転していたこと、昭和六〇年五月一九日に帰宅した際被告康守が他人の自動車に乗って来たことを知っていたが、仮免許にすぎない被告康守の運転を禁止しなかった。

被告康守は本件事故を起こした年の三月に高等学校を卒業したばかりの未成年者であり、しかも就職したことによって収入を得るようになったことから自動車を購入することも十分に考えられる状況にあったのであるから、親権者である被告欣一郎としては仮免許での運転の禁止や、疲労運転をしないこと、自動車で移動したことを知っていたのであるから運転者の確認、自動車を購入しても仮免許では運転してはならない等具体的指導を被告康守にすべき注意義務があった。ところが被告欣一郎は右のような具体的指導をしなかったため、被告康守が仮免許で深夜五時間以上被告車を運転し、本件事故を発生させるのを未然に阻止できなかった。

3 被告東京海上火災保険株式会社(以下被告会社という、)

被告会社は昭和五九年七月二四日被告欣一郎と次のような自家用自動車総合保険契約(以下本件保険契約という、)を締結した。

(一) 被保険自動車 ニッサンサニー 横浜五二ま五二五八

(二) 記名被保険者 森欣一郎

(三) 保険期間 昭和五九年七月二五日から一年間

同保険契約には他車運転危険担保特約(以下本件特約という、)が付加されており、同特約は、記名被保険者の配偶者または同居の親族が同人らの所有する自動車(所有権留保条項付売買契約により購入したものも含む)以外の自動車(他の自動車または他車という、)を運転していた場合には、その他車を被保険自動車、及び右記名被保険者らを被保険者と各見做して賠償責任条項(いわゆる対人賠償保険等)を適用するというものである。ところで本件事故は被保険者被告欣一郎の同居の親族(長男被告康守)が他車(訴外広瀬興郎((以下広瀬という、))所有の普通乗用車)を運転中惹起したものであるから、本件特約に基づき、被告会社は被告欣一郎に対し本件事故による対人賠償保険金を支払う義務があるので、原告は債権者代位権に基づき被告欣一郎が被告会社に対して有する右賠償保険請求権を代位行使する。

三  損害

1 治療費

(一) 歯科治療費 二〇万八四六二円

本件事故により、上右一歯喪失、同二・上左一・同七破折により、昭和六〇年一一月二〇日から同年一二月一六日まで、はらだ歯科市役所前診療室において受診。内九四六二円は社会保険診療自己の負担分、内四〇〇〇円は診断書、明細書作成料、内一九万五〇〇〇円は保険診療対象外自己負担額の合計額。

(二) それ以外の治療費 三〇万〇〇二〇円

原告は昭和六〇年一一月一四日退院してから同六二年八月三一日まで全五五回にわたり訴外藤沢脳神経外科病院(以下訴外病院という)に通院しているが右通院期間中の自己負担額は三〇万〇〇二〇円である。

2 入院付添費未払分 二三万七二〇〇円

本件事故後意識なく、七月三日に、その前日行なった左鎖骨整復固定術時の麻酔覚醒とともに意識回復するも、一一月一三日の退院まで歩行障害・左肩麻痺が残存し、付添の必要性あり。入院日から退院日まで一七二日間、実母付添一日につき家族付添費三七〇〇円、その額は六三万六四〇〇円。

右入院期間中、意識覚醒日まで、常時容態を見ている必要がある為、二四時間の付添看護を要し、付添人一人では不可能につき、実姉まゆみが実母と交替で付添。まゆみは当時居酒屋ふるさとに勤務、事故前三ケ月間、即ち三月給与一五万九二〇〇円、四月給与一五万三四〇〇円、五月給与一三万四六〇〇円の平均日額(但、五月は二六日に事故につき、日数を二五日とした全八六日間の平均)五二〇〇円、交替付添日数は三九日間、右付添費二〇万二八〇〇円

以上合計額八三万九二〇〇円から既払分(入院一日につき三五〇〇円)六〇万二〇〇〇円の差額未払分二三万七二〇〇円

3 通院交通費 七万〇五六〇円

原告は退院後の昭和六〇年一一月一四日から同六三年五月六日までの間六三回訴外病院に通院したが、その一回分の自宅から病院までの往復のバス、電車賃は一一二〇円でありその合計額は七万〇五六〇円である。

4 休業損害 一〇二五万九四五二円

原告は本件事故当時、日昇装美こと杉田正信においてサッシ職人として稼働していたが、その事故前三ケ月間の平均給与日額は九六〇四円である。(昭和六〇年三月分給与三〇万円、四月分給与三〇万四〇〇〇円、五月分給与二二万二〇〇〇円、但し五月分は二六日に受傷につき日数を二五日とした八六日間の平均日額、)

原告は昭和六〇年一一月一四日退院したが前記のとおり同六三年五月六日まで六三回にわたり訴外病院に通院しており、脳の損傷は完全に回復していないため、テンカン様の発作を起すことがあり、高所での作業、自動車の運転等、発作を生じた場合危険をもたらす業種での稼働は不能であるためサッシュ職人としては働けなくなった。

昭和六一年七月頃から時々養父山野弘の仕事を手伝っているものの実質上休業状態にある。

従ってその休業損害は昭和六〇年五月二六日から症状固定日の同六三年七月三一日までの一一六三日間で合計一一一六万九四五二円となるところ、被告森欣一郎(以下被告欣一郎という、)がそのうち合計九一万円を支払ったのでそれを差引くと一〇二五万九四五二円となる。

5 逸失利益 五八三二万七七九五円

(一) 原告は、昭和六三年七月三一日に症状固定と診断されるに至ったが、左片麻痺・失見当識及び痙攣発作の後遺障害が残った。断層写真による診断では右前頭頂低吸収域・右脳室拡大が見られ、脳波所見では右半球に高拡幅波があり、抗痙攣剤を服用しても時折痙攣発作があり、今後相当長期間に渡り抗痙攣剤の服用が必要であって、場合によっては一生服用を継続しなければならない可能性がある。これに伴ない、原告は症状固定後も治療の継続が必要であり、投薬の他に一年間に一回乃至二回、脳波と肝機能検査、末梢血検査、抗痙攣剤血中濃度検査が必要である。

(二) 右の後遺障害により、原告は高所での動作や、自動車・機械等の運転は痙攣を起こす恐れがある為にできない。また、左片麻痺・失見当識がある為、結果として軽易な労務にしか服せない状態である。したがって、原告の右後遺障害は自賠法施行令第二条によると第七級第四号の「神経系統の機能に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当し、労働基準監督局長通牒昭和三二年七月二日基発第五五一号による労働能力喪失率は五六パーセントである。

原告の労働能力の喪失は一生続くものと考えられる為、「賃金センサス」昭和六二年第一巻第一表の全国性別学歴別・年令階級別平均給与額表の男子労働者学歴計の年間給与額四四二万五八〇〇円によることとし、中間利息を控除する為、原告の症状固定時の年令(二一歳)に該当する新ホフマン係数二三・五三四(労働能力喪失期間を四六年とする)を乗じ、さらに労働能力喪失率(五六パーセント)を乗じて算出する。

4,425,800×23.534×0.56=58,327,795

6 慰謝料

(一) 入通院慰謝料 二五〇万円

原告は受傷日である昭和六〇年五月二六日から症状固定日である同六三年七月三一日までの間に前後二回、廷一八三日間入院し、その間に延七七日通院している。右の入通院による原告の慰謝料額は、頭部に対する重大な負傷であり、意識不明期間が一箇月以上あったことを考慮すると二五〇万円が相当である。

(二) 後遺症慰謝料 八〇〇万円

原告が受けた前記後遺障害の程度からすると、後遺症に対する慰謝料は八〇〇万円とするのが相当である。

7 症状固定後の治療費・交通費

六七万三一七五円

原告は前記のとおり投薬と年一、二回の検査を必要としており、国民健康保険による治療費の自己負担分につき、通院年間一二回(実際は薬の処方が長期でも二週間分が限度の為、二四回以上となる)を前提とすると一回の費用を平均三〇〇〇円とすれば年間三万六〇〇〇円となる。また、一回通院には一一二〇円の交通費を必要とし、年間では一万三四四〇円となり、自己の負担の治療費を合わせると一年間に四万九四四〇円を要することとなる。この費用等は今後の診療報酬基準の改定や交通料金の値上を考慮していない。

原告が今後二〇年継続して治療を受けるとすると、右年間の治療費・交通費四万九四四〇円に中間利息を控除する為、期間二〇年に相当する新ホフマン係数一三・六一六を乗じて算出する。

49,440×13.616=673.175

8 弁護士費用

原告が受けた損害額は前記1ないし7の合計額八〇五七万六六六四円であるところ、原告は本件損害賠償請求事件を原告訴訟代理人に依頼したが、本件の内容からすると被告らに負担させるべき弁護士報酬相当額は右原告の損害額の五パーセントに相当する四〇〇万円が相当である。

四  結論

従って原告が受けた総損害額は次の既払金

即ち、

1 見舞金 一〇万円

2 自賠保険金 一二〇万円

3 家族付添費並びに入院雑費 七三万一〇〇〇円

4 オートバイ関係解決金 三五万円

5 治療費 一九三万六五四九円

6 暫定的合意による休業損害 九一万円

以上合計五二二万七五四九円を除くと総額八四五七万六六六四円である。

よって原告は被告康守及び同欣一郎に対して不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、被告会社に対し本件保険契約に基づき、右総損害金のうち後遺症損害につき自賠責保険金によって填補された九四九万円を控除した総額七五〇八万六六六四円の内、三五〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年五月二六日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告らの答弁)

一  被告康守、同欣一郎

1 一項のうち本件事故当時被告康守が仮免許しか受けていなかったこと、原告主張の日時にその主張の場所で原告車と被告車が衝突し、原告に対し同日から昭和六〇年一一月一三日まで一七二日間の入院、その後少なくとも一年間の通院加療を要する両頭頂骨骨折、右前頭葉脳内血腫等の傷害を負わせたことは認めるも、その余は否認する。

2 二項1は争う。

3 同項2のうち被告欣一郎が被告康守(昭和四一年九月二七日生れ本件事故当時一八才)の実父であること、被告康守が高等学校在学中の昭和六〇年二月頃に同学校の寮があった山梨県北巨摩郡二葉町において仮免許を取得し、その後本免許を取得するため東京都多摩区の自動車学校に再入学したことを被告欣一郎が知っていたこと、昭和六〇年五月一九日に被告康守が他人の自動車に同乗し被告欣一郎の自宅に立寄ったこと、被告康守が昭和六〇年三月高等学校を卒業し就職したことは認めるも、その余は否認する。

4 二項3のうち被告欣一郎が原告に対し本件事故に基づく損害賠償義務のあることは争うも、その余は認める。

5 三項1は争う。

6 三項2のうち被告康守の法定代理人被告欣一郎が原告に対し入院一日に三五〇〇円の割合による六〇万二〇〇〇円の入院付添費を支払ったことは認めるも、その余は否認する。

7 三項3は不知。

8 三項4のうち原告が昭和六〇年一一月一四日退院したこと、法定代理人被告欣一郎が原告の休業損害として合計九一万円を支払ったことは認めるも、その余は否認する。

9 三項5ないし8は不知又は争う。

10 四項のうち既払金額は認めるも、その余は争う。

二  被告会社

1 一項のうち原告主張の日時場所において被告康守運転の被告車と原告運転の原告車が正面衝突し、原告が負傷したこと、当時被告康守が仮免許を有していたことは認める。原告の傷害の部位内容並びに治療経過は不知その余は争う。

2 二項1、2は不知。

3 二項3のうち被告欣一郎が原告主張の日に本件特約付きの本件保険契約を締結したこと、被告康守が同欣一郎の長男であることは認めるも、その余は否認する。

4 三、四項は争う。

(被告らの主張)

一  被告康守、同欣一郎

1 過失相殺

原告は軽二輪車運転者に課されているヘルメット着装義務に違反し、これを着装せず、制限速度を超過する時速約七〇キロメートルの速度で、友人を捜すのに気をとられ、顔を進路右側に向けたまゝで原告車を運転し、且つ、軽二輪車は道路左側方を走行しなければならないのにセンターラインに寄った位置を走行したため、本件事故に遭ったものであり、以上の事実によると、本件事故の過失割合は原告七割、被告康守三割が相当である。

2 損害額について

(一) 原告は本件事故により歯を折損或は喪失したとして歯科治療費を請求しているが、被告欣一郎は原告の姉まゆみから原告が本件事故前喧嘩して歯を折ったと聞いているので、本件事故と右歯の折損等とは因果関係がない。

(二) 原告は入院付添費未払分として実母の付添とは別に実姉まゆみにかゝる付添費を請求しているが、家族付添費は被告欣一郎が支払った入院一日当り三五〇〇円の割合による六〇万二〇〇〇円ですべてまかなわれているというべきである。

(三) 原告は本件事故当時日昇装美においてサッシュ職人として稼働し月額三〇万円以上の給与を得ていたとして休業損害を計算しているが、原告は本件事故当時実母と内縁関係(後に婚姻し、原告と養子縁組をした、)山野弘のサッシ業を手伝っていたものであり、わずか一八才の家内労働者である原告に月額三〇万円の給与が支払われていたとは常識上も肯定しがたい、原告の休業損害については賃金センサンスによるべきである。

二  被告会社

1 本件事故には本件保険契約の賠償責任条項は適用されない。

即ち、被告車を運転していた被告康守は本件保険契約締結当時は記名被保険者である被告欣一郎の同居の親族であったが高校卒業後昭和六〇年三月半より東京都西多摩郡羽村町緑ケ丘所在の日野自動車株式会社(以下日野自動車という、)に勤務し、同所所在の第三羽村寮に入寮し、同寮から日野自動車に通勤するとともに西多摩自動車学校に通っていた、被告康守の住民票は第三羽村寮に置かれており、同被告自身自分の住所は第三羽村寮であると認識し、本件事故に関する司法警察員の被疑者取調べでもその旨述べている。

従って被告康守は本件事故当時被告欣一郎の同居の親族ではない。

又、被告車の所有名義は広瀬のままであったが、昭和六〇年三月一二日付売買契約により被告康守が買受け、その所有権を取得し、同月一七日に被告車の鍵も受けとり、同年五月一九日までは右広瀬方の駐車場に置いてあったが、右同日被告康守が車庫も確保したし免許もとれたといって自分で広瀬方の駐車場から車を出し、第三羽村寮の駐車場に持っていき、以降被告車の動静について広瀬は全く関知していない。三月一七日に売買及び引渡が完了していることは、この日をもって広瀬が被告車についての保険契約を解約していることからも明らかである。

従って本件事故当時被告康守が被告車を排他的に所有していたものと言うべきであるから被告車は「他車」ではない。

原告は被告欣一郎は本件事故後右売買契約を取り消した旨主張するが、仮にそれが事実であったとしても、事故後の取消であり、本件事故時における被告車支配の事実を変えることはできないから、被告車が保険約款上の他車に当らないことは何ら変りがない。

2 過失相殺(予備的主張)

本件事故現場は、別紙図面のとおり江ノ島大橋を渡った島内の道路上であり、婦人総合センターの前にある本件ロータリー部分である。

被告康守は、被告車を運転し右大橋を渡って島内に入ったが、前方道路が行き止まりであるのを見て方向転換をすべく本件ロータリー部分を周回して右大橋方面に引き返そうとした。

ところが、先行車が進路前方で停止してしまったため、その右側方を通過しようとしてハンドルを右に切り、道路中心線を越えたところ、前方から対向してきた原告運転の原告車と正面衝突してしまったものである。

一方、原告は、原告車を運転して江ノ島大橋を渡り、婦人総合センターの前をおそらく右折する目的で本件ロータリー部分に進入してきたが、前方をよく見ていなかったため被告車が進路前方に進入してくることを直前まで発見できず、しかも時速八〇キロ位の高速度で走行していたため、殆ど回避措置をとることができず衝突してしまったものである。

右状況によれば、被告康守に不用意に対向車線に進入した過失があることは明らかであるが、原告にも前方注意を怠り、且つ制限速度を超過して自動二輪車を運転した過失がある。

また、原告は、当時ヘルメットをかぶらず搭乗していたもので、このため傷害及び後遺障害の程度が重くなったことが明らかであるから、損害拡大についても過失があるというべきである。

従って、既払を含む原告の損害額について、少なくともその五〇%を過失相殺により減額すべきである。

(被告らの主張に対する原告の答弁並びに反論)

一  答弁

1 一項1、2は争う。

2 二項1のうち被告康守が本件保険契約締結当時記名被保険者である被告欣一郎の同居の親族であったが高校卒業後昭和六〇年三月半より東京都西多摩郡羽村町緑ケ丘所在の日野自動車に勤務し、同所所在の第三羽村寮に入寮し、同寮から日野自動車に通勤するとともに西多摩自動車学校に通っていたこと、被告康守の住民票が第三羽村寮に置かれていたこと、本件事故当時被告車の所有名義は広瀬となっていること、昭和六〇年三月一二日付で被告康守と広瀬との間に被告車の売買契約書が作成されていること、被告康守が被告車を試乗のために運転したことがあることは認めるも、その余は争う。

3 二項2のうち原告が前方をよく見ず時速八〇キロ位の高速度で本件ロータリーに進入したことは否認する。過失割合は争う、その余はほぼ認める。

二  反論

1 過失相殺について

原告は、江ノ島大橋から同島内の神奈川県立婦人総合センター方向に向かって自動二輪車を運転し、右婦人センター前の本件ロータリーにおいて江ノ島大橋方向に転回すべく、本件ロータリーに進入した。右ロータリー内の海の方向、即ち江ノ島大橋から直進する方向(県営駐車場入口部分)については、夜間鉄柵が設置され、車両の進入はできないようになっていた。

本件ロータリーに進入する道路の幅員は、車道部分で約一〇メートルであり直進方向(柵が設けられている方向)は左に、婦人センター側は右に、各々大きくカーブしており、ロータリー内で方向を転回するには高速度での進入は不可能である。原告は、本件ロータリー内で転回すべく制動の処置をとりながらロータリーに進入している。従って原告は前方をよく注視し制限速度内で原告車を運転していたのであるが、被告康守は先行車の軽四輪車を追い越すため、原告車が対向車線を走行してきていることを認めながら、原告車より早く自車線に戻れるものと軽信し進行方向右側にハンドルを切り右側から大きく廻って追い越すようにして進行した。原告が被告車との接触を避けるために進行方向に向って左側にハンドルを切ったのに対し、被告康守は停車することなく右側にハンドルを切り加速進行した過失により原告車に被告車前部左側前照灯付近を激突させたのであり、原告には何らの過失もない。

2 被告康守が被告欣一郎の同居の親族であり、被告車が「他車」であることについて、

(一) 被告康守の生活関係は第三羽村寮に寄宿はしていたものの、週末には実家に帰り、週明けには仕事先に赴くということを繰り返していたのであって、その生活の本拠は依然として横浜市戸塚区犬山町二八-一被告欣一郎方にあったというべきであり、従って本件特約にいうところの「同居」の親族に該当する。

(二) 被告康守は昭和六〇年三月頃友人である訴外広瀬洋一郎の父広瀬からその所有にかゝる被告車を売りたいとの意向を示され、本免許がないので買受に消極であった被告康守に対し、広瀬が近々アメリカに行ってしまうので一応契約だけはしておいてくれといわれノートに売買契約書と題し各条項を書き記した紙に署名捺印した。

その後被告康守は広瀬に対し被告車を借り受けたい旨申入れたが代金を全く支払っていないことを理由に断わられた。被告康守は試乗のため同年五月一九日被告車を一週間の約束で借受け、これを第三羽村寮付近に駐車させていたが勤務の都合で被告車を運転する機会がなく、ようやく同年五月二五日になって暇ができ翌二六日被告車を返還しがてら実家方面に向いドライブをしようと考え二五日の夜出発し、翌二六日午前四時四〇分頃本件事故現場に達し本件事故となったものである。

以上の経緯に徴すれば、被告車については確かに昭和六〇年三月一二日付売買契約書は存するものゝ被告康守はその代金を全く支払っておらず、また名義も依然として広瀬のまゝとされていたのであるから、当事者の意思を合理的に解釈すれば、被告車の所有権は広瀬から被告康守に移転していないというべきである。

又、被告康守は当時未成年者であったところ、広瀬と右売買契約を締結するにつき親権者の同意を得ていなかったので、親権者法定代理人被告欣一郎は昭和六〇年五月三一日広瀬に対し右売買契約を取消す旨の意思表示をしたので、右売買契約は遡って無効に帰している。さらに占有関係については一時的な移転はあったものゝ、実質的な支配は依然として広瀬にあったものというべきであり、被告康守の本件事故時の運転はいわゆる試乗である。売主の広瀬もこのことを認め、同訴外人と被告康守間の横浜地方裁判所昭和六三年(レ)第一〇号事件の和解で、被告康守が被告車につき代金の支払義務のないことを認めている。

第三  証拠関係<省略>

理由

第一  本件事故

一  原告主張の日時にその主張の場所で原告車と被告車が衝突したこと、当時被告康守は普通車の仮免許しか有していなかったこと、右衝突事故により原告が負傷したことは当事者間に争いがない。

右事実に<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

被告康守は仮免許を受けたものであるが仮免許で一般車道を走行するには普通免許取得三年以上の者を助手席に同乗させ、その指導を受けながら、且つ、車両の前後に「仮免許練習中」の標識を掲げて運転すべき道路交通法上の義務があるのにこれを怠り、藤沢市江ノ島一丁目一二番二号先港湾道路上のロータリー(本件ロータリー)を被告車(普通乗用車)を運転して江ノ島大橋方向に北進中その出口付近に停車した先行車の軽四輪車を追い越すため、対向車線に進入するにあたり、対向車両の有無及びその安全を確認すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、対向車両の有無及びその安全を確認しないで漫然時速約三五キロメートルで対向車線に進入した過失により、対向してきた原告(一八才)運転の原告車(自動二輪車)を前方約二五・五メートルに初めて発見し、右転把したが及ばず、自車左前部を原告車に衝突させて原告を路上に転倒させ、よって原告に対し同日から昭和六〇年一一月一三日と同六一年八月二五日から同六一年九月七日までの間約一八六日の入院、同六三年七月三一日の症状固定まで約七七日間の通院加療を要する両頭頂骨々折、右前頭葉脳内血腫、脳挫傷、右頭頂葉挫傷、顔面打撲、舌挫創、上右一歯喪失、一歯破折、上左二歯破折、左鎖骨骨折、左肩関節脱臼、両橈骨下端骨折、左拇指MP関節脱臼等の傷害を負わせた。

以上認定に反する<証拠>は前掲各証拠に照して採用できない。

二  過失相殺の主張について

原告が本件事故当時自動二輪車運転者に課せられているヘルメットを着装していなかったことは当事者間に争いがない。

被告らは原告が制限速度を超過する時速約七〇ないし八〇キロメートルの速度で、友人を捜すのに気をとられて顔を進路右側に向けたまゝで原告車を運転し、且つ、自動二輪車は道路左側方を走行しなければならないのにセンターライン寄りを走行した過失がある旨主張する。

前一項掲記の各証拠によると本件事故現場の状況は別紙事故発生状況図記載のとおりであり、本件事故発生までの経緯は次のとおりであることが認められ、該認定に反する<証拠>は前掲各証拠に照して採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

本件事故現場の制限速度は時速四〇キロメートルである。本件ロータリーに進入する道路の幅員は車道部分が約一〇メートルであり直進方向(県営駐車場入口部分)には夜間鉄柵が設置され、車両の進入はできないようになっていた。そして右直進方向は左に、婦人センター側は右に道路が各々大きくカーブしており、高速度で右ロータリー内に進入し、その中で方向転回することは運転技術上非常に困難な状況にあった。

原告は、江ノ島大橋から同島内の神奈川県立婦人総合センター方向に向って原告車を運転し、右センター前の本件ロータリーにおいて原告車を転回させ江ノ島大橋方向にUターンしようとしてセンターライン寄り時速約六〇キロメートルの速度で走行して本件ロータリーに進入した、一方被告康守は先行車の軽四輪車を追い越すため、原告車が対向車線を走行してきていることを認めながら、原告車が到着するより早く自車線に戻れるものと軽信し、進行方向右側にハンドルを切り対向車線に入り右側から大きく廻って追い越そうとした。原告は前方約二五・五メートルに初めて被告車を発見し、衝突を避けるため進行方向に向って左側にハンドルを切ったのに対し、被告康守は急ブレーキをかけることなく、右側にハンドルを切りそのまゝの速度で進行したため、原告車に被告車前部を激突させた。

以上認定事実に<証拠>を総合すると原告車が本件衝突事故にあった当時の速度は約時速六〇キロメートルであることが推認され、且つ、原告が顔を右側に向けて前方注視せず原告車を運転していたと認めるに足る証拠はない。

従って本件事故における原告の過失はヘルメットを着装していなかったことと、制限速度を約二〇キロメートルに超過して原告車を運転したことにあり、ヘルメットを着装していなかったため頭部の傷害及び後遺障害の程度が重くなったことは明らかであるが、その点を考慮し、本件事故の状況を総合勘案すると、本件事故に対する過失割合は原告三、被告康守七とするのが相当である。

第二  被告らの責任

一  被告康守

同被告は民法七〇九条に基づき原告が本件交通事故により蒙った損害を前項の過失割合により賠償すべき責任がある。

二  被告欣一郎

同被告が被告康守(昭和四一年九月二七日生れ)の実父であること、被告康守が山梨県北巨摩郡二葉町所在の日本航空高等学校に在学し、同校の寮に入寮中、昭和六〇年二月頃右所在地において仮免許を取得し、その後同年三月同高等学校卒業後同年三月中旬東京都西多摩郡羽村町緑ケ丘所在の日野自動車に勤務し、同所所在の第三羽村寮に入寮し、同寮から日野自動車に通勤するとともに西多摩自動車学校に通い本免許を取得しようとしていたこと、昭和六〇年五月一九日に被告康守が乗用車に乗って被告欣一郎宅に立寄ったこと、被告欣一郎が、被告康守の仮免許取得及び本免許取得のため自動車学校に通っていたことを知っていたこと、は当事者間に争いがない。

原告は、被告欣一郎が未成年の子である被告康守に対し仮免許での運転の禁止、疲労運転しないことなど運転上の具体的注意指導を怠ったため、被告康守が本件事故を惹起したとして、被告欣一郎に共同不法行為責任がある旨主張するが、前記争いのない事実に<証拠>を総合すると、被告康守は昭和六〇年三月半ばに日野自動車に入社し第三羽村寮に入寮してから本件事故があるまで横浜市戸塚区所在の被告欣一郎方(以下実家という、)には同年五月の連休と五月一九日に帰ったのみで殆んど実家には帰っていないこと、被告欣一郎は被告康守が仮免許証を取得したことは知っていたが、昭和六〇年三月一二日に広瀬から被告車を買受け、同年五月一九日被告車を運転し訴外山内某を同乗させて実家に立寄ったことに気が付かず、被告車は右山内某の乗用車で、同訴外人が運転して来たものと誤信していたこと、被告康守は本件事故時一八才で日野自動車に勤務し、同訴外会社の第三羽村寮(横浜市から距離的にも離れた西多摩郡羽村町所在)で起居し、父から独立した生活を行っていたこと、被告康守は仮免許取得後被告欣一郎所有の乗用車の助手席に免許証を有する母森作子や被告欣一郎の知人に同乗してもらって、「仮免許練習中」の標識を掲げて右乗用車を運転したことはあったが、被告欣一郎が見聞する範囲では、法令で定めた有資格者を同乗させず、右標識を掲げないで乗用車を運転したことがなかったこと、被告欣一郎はかねてから被告康守に対し諸法令を守って安全運転するよう注意していたが、原動機付自転車の運転免許も有し、社会人として独立し平穏に生活している一八才の息子が、父に無断で普通乗用車を買受け、有資格者を同乗させず、右乗用車を運転するとは全く予測しなかったことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定事実を総合すると、被告欣一郎が本件事故につき故意又は過失により加功したとか、被告康守の違法な仮免許運転を容認或は幇助した事実は認められないから、被告欣一郎に共同不法行為責任があるとする原告の主張は失当である。

三  被告会社

被告欣一郎が本件事故当時被告会社と本件特約付本件保険契約を締結していたことは当事者間に争いがない。

そこで次に被告康守が本件特約にいう同居の親族に当るか否か、被告車が右特約にいう他車に当るかどうかにつき検討する。

前記二項認定事実に<証拠>を総合すると、被告康守は本件保険契約締結当時は記名被保険者である被告欣一郎の同居の親族であったが、高校卒業後の昭和六〇年三月半より東京都西多摩郡羽村町緑ケ丘所在の日野自動車に勤務し、同所所在の同訴外会社第三羽村寮に入寮し、同年四月一日住民票も実家から右第三羽村寮に移動し、右寮から日野自動車に通勤し、且つ、本免許をとるため西多摩自動車学校に通っていた。第三羽村寮に入寮後本件事故までに被告康守は五月の連休と同月一九日実家に帰ったのみで、殆んど実家に帰らず、同被告自身自分の住所は第三羽村寮であると認識し、本件事故についての司法警察員の被疑者取調べ等においても、その旨供述していることが認められ、右認定に反する<証拠>は前掲各証拠に照して採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上の事実によれば、被告康守は本件特約にいう同居の親族に当らないことは明らかである。

又、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

被告康守は昭和六〇年三月一二日頃父被告欣一郎に無断で被告車を友人の広瀬洋一郎の父広瀬から代金三〇万円、同年五月三〇日と同年六月三〇日に各五万円、同年九月三〇日に残金二〇万円を支払う約で買受ける旨の契約を締結し、(その旨の売買契約書を作成したことは当事者間に争いがない、)同月一七日被告車の鍵や自動車検査証等も受けとり、被告車の引渡を受けた。しかしながら被告康守は被告車を置く駐車場の準備ができないと称し、同年五月一九日までは広瀬方の駐車場に被告車を置かせてもらった。右同日被告康守は本免許も取得しておらず、駐車場もないのに、広瀬の子洋一郎や広瀬の妻に対し車庫も確保したし免許もとれたといって自分で広瀬方の駐車場から被告車を引き出し、第三羽村寮近くの空地まで運び同所に被告車を放置し、その後本件事故までに数回被告車を運転し、同僚の訴外権正元昭他に対し被告車は自分の車であると言っていた。

被告康守は右訴外人他二名の友人を誘って深夜のドライブとディスコ遊びを楽しもうと考え、一週間前から右同僚らに誘をかけていたが、同年五月二五日午後六時四五分頃友人岡田隆則、同長田光司、権正元昭とともに寮を出発し、渋谷のディスコに行ったあと、六本木、横須賀の長浦港を経由して江の島に向い本件事故を起した。その間被告康守は一時間余友人に運転を代わってもらったが、延約一〇時間被告車を運転した。

広瀬は昭和六〇年三月二七日アメリカ合衆国ニューヨーク市に仕事で赴任したが家族の中に自動車の普通免許証を持っている者がいないので、被告康守に被告車を売却した後の同年三月一七日に日産火災海上の自賠責保険契約を解約した。

しかしながら被告車の所有名義は本件事故当時未だ広瀬のまゝになっていた。

以上認定に反する<証拠>は前掲各証拠に照して採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定事実によれば、被告車は昭和六〇年三月一二日の売買契約に基づき広瀬から被告康守に売渡され、同月一七日その引渡もなされ、同年五月一九日から本件事故時まで同被告が被告車を排他的に所有していたものと認められるので被告車は本件特約にいう「他車」には当らないものというべきである。

原告は、未成年者の売買であるから、親権者法定代理人被告欣一郎が本件事故後右売買契約を取消たので、その所有権は過去に遡って広瀬に戻った旨主張するが、仮に被告欣一郎がそのような意思表示をしたとしても、これに加えて譲渡人広瀬に現実に被告車が返還され、被告車に対する広瀬の事実上の支配が移転回復されない以上、本件特約にいう「他車」には当らないと解するのが相当であるから、右契約取消の主張も理由がない。

よって債権者代位権に基づく原告の被告会社に対する損害賠償請求は爾余の点につき判断するまでもなく失当である。

第三  損害(但し、被告康守関係)

一  治療費

1  歯科治療費 一六万七五六九円

前記第一項認定事実に<証拠>を総合すると原告は本件事故により上右一歯を喪失した他上右一歯、上左二歯を破折し昭和六〇年一一月二〇日から同年一二月一六日まではらだ歯科市役所前診療室において治療を受け、本件事故前に欠損した左下一歯の治療費も含めて次のとおり自己負担分を支払ったことが認められ、これを覆えすに足る証拠はない。

社会保険診療自己負担分 九四六二円

保険診療対象外自己負担分 一九万五〇〇〇円

診断書及び診療報酬明細書作成料 四〇〇〇円

以上合計 二〇万八四六二円

前記治療費二〇万四四六二円のうち本件事故前に欠損した左下一歯の治療費が何程であるかについては立証がないが、前記認定事実を総合すると右治療費二〇万四四六二円の約八割に当る一六万三五六九円をもって本件事故と相当因果関係にある治療費と認める。

従って歯科治療費等の損害は診断書及び診療報酬明細書代四〇〇〇円を加算すると一六万七五六九円となる。

2  それ以外の治療費 三〇万〇〇二〇円

<証拠>を総合すると原告は昭和六〇年一一月一三日退院してから同六三年五月六日までの間約六六日間訴外病院に通院したが、その間の治療費のうち自己負担額は三〇万〇〇二〇円であることが認められ、これを覆えすに足る証拠はない。

二  入院付添費未払分 一〇万八五〇〇円

<証拠>を総合すると原告は本件事故により約一八六日の入院、(但し、内一四日は検査のための再入院期間、)症状固定まで約七七日間の通院加療を要する両頭頂骨々折、右前頭葉脳内血腫、脳挫傷、右頭頂葉挫傷、左鎖骨骨折、左肩関節脱臼、両橈骨下端骨折の重傷を負い、昭和六〇年七月二日左鎖骨整復固定術を行い翌三日麻酔覚醒とともに意識を回復したが、同年一一月一三日の退院までは歩行障害、左肩麻痺があり、同年九月半までは食事も、排便も人手を要したし、入院後約一ケ月は痰が喉につまって窒息しないよう二四時間付添の監視が必要であったこと、そこで原告の母山野初子が右入院全期間、原告の姉まゆみが入院後約一ケ月間右山野初子と交替しながら二四時間原告の付添をしたことが認められ、これを覆えすに足る証拠はない。

右事実によれば原告の入院付添料は入院後一ケ月は二人分、一日七〇〇〇円、のこりの一四一日間は一人分一日三五〇〇円以上合計七一万〇五〇〇円とするのが相当である。ところで被告康守代理人被告欣一郎が支払った付添料はこのうち六〇万二〇〇〇円であることは当事者間に争いがないから入院付添料未払分は一〇万八五〇〇円となる。

三  通院交通費 七万三九二〇円

前記認定事実によれば原告は退院後の昭和六〇年一一月一四日から同六三年五月六日までの間約六六回訴外病院に通院したが<証拠>を総合すると、自宅から小田急伊勢原駅までと同藤沢駅から訴外病院までのバス代及び伊勢原から藤沢までの電車代の片道料金は約五六〇円で往復一一二〇円であることが認められ、これを覆えすに足る証拠はない。

従って、通院交通費は合計で七万三九二〇円となる。

四  休業損害 三八八万五〇〇〇円

<証拠>を総合すると、原告は一七才の昭和六〇年二月頃から、母初子と同棲し、後に同女と結婚し、原告の養父となった山野弘のサッシュ取付業を手伝っていたこと、山野弘は日昇装美こと杉田正信の下請をし、下請工事代金を受領し、原告に対し日当を払っていたことが認められ、以上の事実によると原告に対し月平均約三〇万円を支払っていたとする<証拠>は<証拠>に照して採用できない。

そして右事実によれば原告は本件事故にあった昭和六〇年五月当時未だサッシュ工見習の地位にあったものと推認され、サッシュ工の日当は原告本人尋問の結果によれば一万五〇〇〇円から二万円であることが認められるから、サッシュ工見習の原告の日当は七〇〇〇円とするのが相当である。

そして<証拠>を総合すると、原告は一七二日入院後昭和六〇年一一月一三日退院したがその後症状固定日の昭和六三年七月三一日までに約七七日通院し、その間昭和六一年一〇月頃から山野弘の手伝いを初めたが、通院しないときも脳の損傷により左片麻痺、失見当識の症状とテンカン様の痙攣発作が月に一、二回あり、高所での作業ができないのでサッシュ工としては半人前の仕事しかできず、又、自動車の運転等発作を生じた場合危険が生ずる仕事ができなかったことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定事実によると原告の休業日数は、入院日数一八三日、通院日数七七日に四二五日(昭和六〇年一一月一三日退院後症状固定日の同六三年七月三一日までの合計日数約九四二日より右通院日数及びその間の再入院日数一四日合計九一日を引いた八五一日の約二分の一の日数)を加算した六八五日とするのが相当である。

従って原告の休業損害は合計四七九万五〇〇〇円となる。ところで被告康守代理人被告欣一郎が右休業損害のうち九一万円を支払ったことは当事者間に争いがないから、未払休業損害は三八八万五〇〇〇円となる。

五  逸失利益 五二四七万四九八三円

<証拠>を総合すると、原告は、昭和六三年七月三一日に症状固定と診断されたが、左片麻痺、失見当識及び痙攣発作の後遺症が残ったこと、断層写真による診断では右前頭頂低吸収域、右脳室拡大が見られ、脳波所見では右半球に高拡幅波があり、抗痙攣剤を服用しても時折痙攣発作があり今後相当期間に渡り抗痙攣剤の服用が必要であって、場合によっては一生服用を継続しなければならないかもしれないこと、これに伴い、原告は症状固定後も治療の継続が必要であり、投薬の他に一年間に一回ないし二回脳波と肝機能検査、末梢血検査、抗痙攣剤血中濃度検査が必要であること、右の後遺症により、原告は高所での動作や、自動車、機械等の運転は痙攣発作を起す恐れがあるのでできないし、左片麻痺や失見当識があるため結果として軽易な労務にしか服せない状態にあることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

従って原告の右後遺障害は自賠法施行令第二条によると第七級第四号の「神経系統の機能に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服すことができないもの、」に該当し、その労働能力喪失率は五六パーセントであるといわなければならない。

原告の労働能力の喪失は一生続くものと推認されるところ、「賃金センサス」昭和六二年第一巻一表の全国性別学歴別、年令階級別平均給与額表の男子労働者新中卒(原告本人尋問の結果によれば原告の最終学歴は中学卒であることが認められる。)の年間給与額は三九八万一七〇〇円であることは明らかであるから、原告の年間推定所得額を右金額とし、原告の症状固定時の年令(二一才)に該当する新ホフマン係数二三・五三四(労働能力喪失期間を六七才までの四六年とする)を乗じ、これに労働能力喪失率(五六パーセント)を乗じて原告の逸失利益を算出すると五二四七万四九八三円となる。

3,981,700×23.534×0.56=52,474,983円

六  慰藉料

1  入通院慰藉料 二五〇万円

前記二、四項認定事実を総合すると二五〇万円が相当である。

2  後遺症慰謝料 八〇〇万円

前記五項認定事実によると八〇〇万円が相当である。

七  症状固定後の治療費、交通費 六七万三一七五円

前記五項認定事実によれば、原告は症状固定後も継続的な投薬と年一、二回の検査を必要としているところ、国民健康保険による治療費の自己負担分は<証拠>によれば、通院年間一二回を前提とすると一回の費用は平均三〇〇〇円を下らないと認められるので年三万六〇〇〇円となる。又、一回の通院には前記三項のとおり一一二〇円の交通費を要するので、年間では一万三四四〇円となり自己負担の治療費を合せると一年間に四万九四四〇円となる。

原告が今後二〇年間継続して治療を受けようとすると、右年間の治療費、交通費は中間利息を新ホフマン係数で控除しても六七万三一七五円となる。

49,440×13.616=673,175円

八  小計及び既払分の控除

以上の原告の損害額を合計すると六八一八万三一六七円になるところ、<証拠>を総合すると、原告はその他に次の損害につき被告康守代理人欣一郎から弁済を受けたことは当事者間に争いがない。

1  治療費等 三一三万六五四九円

2  家族付添費並びに入院雑費 七三万一〇〇〇円

3  オートバイの賠償金 三五万円

4  休業損害 九一万円

合計 五一二万七五四九円

従って原告の総損害額は前記六八一八万三一六七円に五一二万七五四九円を加算した七三三一万〇七一六円となるところ、前第一項記載のとおり本件事故における原告の過失割合は三割であるから、原告が被告康守に対し請求できる損害額は右七三三一万〇七一六円の七割である五一三一万七五〇一円となる。

そして右損害額につき自賠責保険金も含めて合計一四六二万七五四九円(内訳前記五一二万七五四九円に見舞金一万円、後遺症損害に対する自賠責保険金九四九万円を加算した金額)が原告に支払われたことは当事者間に争いがないから差引き未払い損害額は三六六八万九九五二円となる。

九  弁護士費用

弁護士費用は右三六六八万九九五二円の約一割に当る三六六万円が相当である。従って被告康守の未払い損害賠償額は七項の三六六八万九九五二円に右三六六万円を加算した四〇三四万九九五二円となる。

第四  結論

以上の次第で原告の被告欣一郎及び被告会社に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却し、被告康守に対し損害金内金三五〇〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和六〇年五月二六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 元吉麗子)

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